愛知県
名古屋市
緑区
[
5
]
の出身。元来は左利きだが、日常生活では主に右手を使っている
[
6
]
。
名古屋市立桜台高等学校
から、
神戸大学経済学部
へ進学。高校の同期生に
歌人
の
穂村弘
やプロゴルファーの
塩谷育代
、大学の同期生に
ノーベル賞
受賞者の
山中伸弥
がいる。また、高校時代には天文部、大学時代には
落語研究会
に所属。落語研究会では、「
拡益亭喜富
」(かくえきてい きっぷ:『拡益亭』は江戸落語に取り組む会員が代々名乗る屋号)を名乗っていた。ちなみに、
落語家
の
桂吉弥
は、落語研究会での後輩に当たる。
大学卒業後の
1985年
に、
岡元昇
・
中邨雄二
とともに、アナウンサーとして朝日放送(当時)へ入社した。
本人の弁によれば、当初は特にアナウンサー志望というわけではなく、放送以外の業種の企業での採用も内定していた。しかし、自分から何の挑戦もしないまま内定を得たことで「マリッジブルーのような感覚」に陥ったところ、神戸大学の就職課で朝日放送アナウンサー職の求人票(若干名募集)を発見。その時点でアナウンスの本格的な経験や勉強を一切積んでいなかったにもかかわらず、前述の落語研究会で磨いた話術を頼りにアナウンサー試験へ「挑戦」したところ、岡元・中邨とともに採用された
[
7
]
。
伊藤の採用については、定期採用扱いで先に入社が決まっていた岡元・中邨と違って、当時朝日放送へ在籍していた
長沢彰彦
アナウンサーの
英国放送協会
(BBC)への出向に伴う欠員の補充を兼ねていた。伊藤自身は、このような社内事情を知らないまま、最終試験で試験官の
乾浩明
に向かって「採用されなかったら内定を受けた(前述の)企業に就職する」と公言。それでも「岡元や中邨とは毛色の違う人材も(アナウンサーに)欲しい」という上層部の意向で採用に至ったことから、入社の直後には、乾から直々に「(定期採用扱いの)岡元・中邨を
ドラフト会議での指名
を受けて(朝日放送に)入ったプロ野球選手に例えるなら、(他業種の内定先での就職を公言するほど、アナウンサーへの志望動機が薄いにもかかわらず、『欠員補充』扱いで採用された)お前(当時の伊藤)は
ドラフト外
同然で入ったようなものだ」と言われたという
[
8
]
。
朝日放送への入社後は、スポーツアナウンサーの先輩に当たる
因田宏紀
や、
道上洋三
による指導の下でアナウンス技術を研鑽。道上からは、前述した入社までの経緯を踏まえて、「『うまくなろう』と努力しなくてもいいから、他人の心に響くような表現力を磨きなさい」という金言を授かったという
[
9
]
。また、「リスナーとして訊いておきたいことを、当意即妙のタイミングで解説者に語らせている」という理由で、入社当時から上司の中村哲夫
[
9
]
や
毎日放送
の
三宅定雄
のような野球実況を目指していた。現在の妻と結婚した際には、因田夫妻が仲人として同席している。娘は
京都産業大学
に職員として勤務している
[
10
]
。
1985年10月から1年間は、道上・因田が新人アナウンサー時代に最初のパーソナリティを務めた『
ABCヤングリクエスト
』(
朝日放送ラジオ
)で、木曜日の最終パーソナリティを務めた。その後は、
野球
(
プロ野球
阪神
戦や
全国高校野球選手権大会
)を中心に、
ゴルフ
(
日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯
)など、主に
スポーツ
中継で実況・リポーターを担当。
1990年
から1年半
朝日放送テレビ
で放送された全国ネット番組『
桂三枝のにゅーすコロンブス
』では、
キャスター
を務めていた。
本名では名前の
史隆
を「のぶたか」
と読ませるが、アナウンサーとしては朝日放送(旧法人)への入社直後から
マイクネーム
に相当する扱いで音読みの「しりゅう」と名乗っている。奇しくも阪神では、1978年に
「伊藤弘利」という氏名で入団した右投手
が、1979年から1985年まで「伊藤宏光」を名乗った後に、1986年から
登録名
を「伊藤
文隆
」(いとう・ふみたか)に変更。1991年の現役引退を経て、1996年から一時、「伊藤文隆」名義で朝日放送ラジオの野球解説者を務めていた。このような事情から、史隆を「しりゅう」と読ませるマイクネームには、「阪神戦のラジオ中継で『伊藤文隆』と区別する」という意味もあったという。
1997年以降は、大学時代に落語研究会で活動した経験を生かしながら、『
日曜落語 〜なみはや亭〜
』(朝日放送ラジオ)に
席亭
(案内役)として出演。
2009年
7月11日
からは、自身初の冠番組『
ようこそ!伊藤史隆です
』(朝日放送ラジオ)で、メインパーソナリティを務めた。その関係で、2011年9月までの土曜日には、同番組の生放送を終えてからスポーツ実況の現場へ向かうことも多かった。
2011年までは、スポーツ実況を担当するかたわら、同期入社の中邨とともにスポーツアナウンサーの管理業務も担当していた。しかし、同年9月25日に『
ABCフレッシュアップベースボール
』(朝日放送ラジオ)で中継された阪神対
巨人
戦(甲子園球場のデーゲーム)での実況担当(解説:
吉田義男
)を最後に、入社以来25年間携わってきたスポーツの中継現場から一旦退いた。
2011年10月3日からは、平日夕方の関西ローカルニュース番組『
キャスト
』のメインキャスターに就任。前番組『
NEWSゆう+
』での
保坂和拓
・
小縣裕介
に続いて、スポーツアナウンサーからニュースキャスターに転身している(小縣は2012年度からスポーツアナウンサーに復帰)。ただし、同年12月31日までは、『キャスト』を放送しない土曜日に『ようこそ!伊藤史隆です』で引き続きパーソナリティを務めていた。
『ようこそ!伊藤史隆です』を開始するまでは、出張や旅行などで日本国内の45都道府県へ滞在。さらに、同番組の放送期間中に、番組の企画を兼ねて残り2県(
大分県
・
群馬県
)を訪問した。また、同番組の放送期間中には、
スウェーデン
から女性の交換留学生を自宅で受け入れていた。
2012年11月25日開催の第2回
神戸マラソン
で、50歳にして人生初の
フルマラソン
に挑戦。4時間37分52秒で完走を果たした。
2015年3月27日に、『キャスト』のメインキャスターを勇退
[
11
]
。同年4月からは、ゴルフ中継を皮切りに、再びスポーツアナウンサーとして活動している
[
12
]
。
2016年
には、朝日放送ラジオで
3月28日
から月曜日の17時台に『
伊藤史隆のOn-site RADIO
』(生放送番組)、
10月1日
から
2017年
9月30日
まで土曜日の17時台に『昭和サウンドトラック』(事前収録による1時間の音楽番組)のパーソナリティを務めている。また、平日の生ワイド番組のパーソナリティが急病などで休演した場合に代役へ起用されることが多く、番組スタッフからは後輩アナウンサーの
桂紗綾
(入社後にアマチュアの立場で落語家としても活動)と並んで「朝日放送ラジオの代打の神様」と呼ばれているという。
2017年度からは、スポーツアナウンサーとしての活動と並行しながら、プロ野球のオフシーズンを中心に『
伊藤史隆のラジオノオト
』でラジオパーソナリティとしての活動を本格的に再開。2018年4月から2020年10月までは、「スポーツコメンテーター」という肩書で『
おはようコールABC
』(朝日放送テレビ平日早朝の生放送番組)の水曜日にレギュラーで出演していた。アナウンサー歴35年(2020年5月)の時点で道上が語ったところによれば、朝日放送の開局後にアナウンサーの担当ジャンルがスポーツ・報道・演芸(バラエティ)に事実上分かれてから、全てのジャンルの番組をレギュラーで担当したアナウンサーは伊藤が初めてとされる
[
9
]
。その一方で、『伊藤史隆のラジオノオト』が年始特別編成で放送を休止していた2020・2021年の元日には、関西地方の他の民放ラジオ局が制作する生放送番組のゲストに招かれている(
詳細後述
)。
なお、2020年8月5日(水曜日)には、プロ野球のシーズン中でありながら『キャスト』のメインキャスターを5年5ヶ月振りに務めた。
澤田有也佳
(同番組で月 - 水曜日サブキャスターを務める後輩アナウンサー)に
新型コロナウイルス
への感染が同月1日に確認されたことから、澤田と直前(7月下旬)に共演していたレギュラー番組の関係者(伊藤の2代後のメインキャスターで後輩の
上田剛彦
など)に
PCR検査
を受診させる方針を朝日放送テレビが決めたことによる暫定措置で、当初は上田などの陰性が完全に確認されるまで水・金曜日に代演を予定していた(月・火・木曜日のメインキャスター代理は
堀江政生
)
[
13
]
。しかし、上田などが陰性の確認を経て7日(金曜日)放送分から復帰することが決まったため、実際には5日放送分
[
14
]
だけで代演を終了した。
2021年1月11日(月曜日・
成人の日
)には、同期入社の中邨と共に、「
トラッキーズ
」という名義で
チキンジョージ
(
神戸市中央区
の
ライブハウス
)のステージ(年に1日だけ開催される「チキンジョージ新年会 素人演芸会」)へ出演。
阪神・淡路大震災
(1995年1月17日発災)に関する『ラジオノオト』の企画で2020年1月にチキンジョージを取材したことがきっかけで、チキンジョージ側から出演を打診されたことによる「歌手デビュー」で、『
夏の終りのハーモニー
』(
井上陽水
・
玉置浩二
)と『
冬の稲妻
』(
アリス
)を中邨とのデュエットで披露した(伊藤はサイドボーカルを担当)。ちなみに、朝日放送ラジオにおける双方の冠番組(『伊藤史隆のラジオノオト』『
サクサク土曜日 中邨雄二です
』)では、スタジオでの練習や本番の歌唱音源を放送している
[
15
]
。
2022年の誕生日で朝日放送グループの定年(60歳)へ到達したことから、グループの内規に沿って、2023年3月31日付で朝日放送テレビを定年退職。ただし4月1日以降も、
嘱託
扱いの「シニアアナウンサー」として同局に勤務している。朝日放送テレビの正社員として定年を迎えたアナウンサーが、定年後も「シニアアナウンサー」として勤務する事例は、同期入社ながら1歳年上の中邨(2022年3月31日定年→翌4月1日から「シニアアナウンサー」へ移行)に続くもので、実際には1986年入社の
芦沢誠
(1962年11月10日出生のアナウンサー)と同時に移行。2017年度から6シーズンにわたっていた『伊藤史隆のラジオノオト』のレギュラー放送については、正社員としての定年を節目に、定年の前日(2023年3月30日)で終了した。
その一方で、「シニアアナウンサー」へ移行した2023年4月1日付で、
神戸新開地・喜楽館
の初代支配人に就任
[
16
]
。実際には2023年4月3日(月曜日)から、同局での職務(スポーツ中継や『日曜落語 〜なみはや亭〜』などへの出演)を続けながら喜楽館の運営に携わっている(
当該項で詳述
)。阪神の18年振り
セントラル・リーグ
優勝と
オリックス・バファローズ
の
パシフィック・リーグ
3連覇を受けて同年11月23日(
勤労感謝の日
)に大阪市内と神戸市内で開催された「兵庫・大阪連携『阪神タイガース、オリックス・バファローズ優勝記念パレード』」では、午後に
御堂筋
(大阪市中央区)の一部区間で阪神単独のパレードが実施された際に、テレビ中継の制作を朝日放送テレビが主導していた関係で、阪神の関係者が搭乗したパレード用の先頭車両(1号車)上での代表インタビューを小縣裕介と共に任されていた。
スポーツアナウンサーとしての主な活動
[
編集
]
朝日放送への入社3年目だった
1987年
8月9日
に、
第69回全国高等学校野球選手権全国大会
2日目第3試合・
習志野
対
東筑
戦のラジオ中継で野球実況デビュー(延長10回の末に習志野が3 - 2で勝利)。
1990年代に入ってからは、阪神戦の中継や、大きなスポーツイベントで実況する機会が増加。
2002年
には、
JNN
・
JRN
系列局の優秀なアナウンサーに贈られる
アノンシスト賞
(第27回)で、ラジオスポーツ実況部門最優秀賞に加え大賞(グランダ・プレミオ)を受賞した。さらに、高校野球
DVD
&VHSとして発売している「第85回記念大会記念企画 夏の甲子園・不滅の名勝負 1915-2002」で2巻・5巻・8巻のナレーションを務めている。ちなみに、 阪神タイガースを題材に朝日放送(当時)が制作に協力した
東宝
の実写映画「
ミスター・ルーキー
」(
2002年
公開)では、
中西清起
(出演時点では同局の野球解説者)とともに阪神甲子園球場での実況シーンに出演した。
サッカー中継を担当する機会はほとんどないが、
1994 FIFAワールドカップ・アジア予選
では、朝日放送(当時)の取材リポーターとして約1ヶ月間
カタール
に滞在。朝日放送が制作する生放送のテレビ・ラジオ番組(『
おはよう朝日です
』『おはようパーソナリティ道上洋三です』など)にリポートを送り続けたところ、
テレビ朝日
および
系列局
から中継要員やリポーターとして派遣されていたアナウンサーではただ1人、日本代表の最終試合(
1993年
10月28日
に組まれていた最終予選の
イラク代表
戦)まで現地に残った。日本代表がこの試合の勝利によってワールドカップへの初出場を決めた場合には、
テレビ東京
から実況アナウンサー(
土居壮
)だけを派遣していた日本国内向けのテレビ中継で代表監督・選手へのインタビュアーを特別に務めることが決まっていたが、結局は「
ドーハの悲劇
」を目撃することになった。
-
日本代表はワールドカップへの初出場を
1998年のフランス大会
で果たすと、伊藤が還暦を迎えた直後(
2022年
11月20日
)に開幕した
カタール大会
まで、(予選免除となった
2002年の日韓大会
を除き)6大会連続でアジア最終予選を突破。カタール大会における
日本代表
の初戦(グループリーグEの対
ドイツ代表
戦)が組まれていた
2022年
11月23日
(水曜日・
勤労感謝の日
)には、この試合の開始1時間前(20:59)まで『伊藤史隆のラジオノオト』を放送することが決まっていたことから、伊藤は「29年前(1993年)にカタールのお土産に購入したものの、日本へ帰国してから一度も着用しないまま会社(朝日放送→朝日放送テレビ)内の自分のロッカーに収納していた」という
トーブ
(本来は現地の男性向け民族衣装)姿
[
17
]
で『ラジオノオト』に出演
[
18
]
。「ようこそ、ラジオノオトへ」(19時台後半のコーナー)では、当日(水曜日)のパートナーである
笑福亭松喬
を相手に上記のエピソードを披露した。
-
ちなみに日本代表は、2対1でドイツ代表に逆転勝利。
11月27日
(日曜日)の対
コスタリカ代表
戦(0対1で敗北)を経て、
12月2日
(金曜日)の早朝にグループリーグEの最終戦へ臨んだ。伊藤は、
12月1日
(木曜日)の『ラジオノオト』でトーブを再度着用した
[
19
]
ところ、日本代表は最終戦で
スペイン代表
を相手に2対1で逆転勝利。グループリーグEを首位で通過したものの、
12月6日
(火曜日)未明の決勝トーナメント1回戦(ラウンド16)でPK戦の末に
クロアチア代表
に敗れたため、ワールドカップ史上初の準々決勝(ベスト8)進出に至らなかった(最終順位は「9位」)。
『キャスト』メインキャスター時代の
2014年
5月25日
には、朝日放送による阪神対
千葉ロッテ
戦(甲子園球場のデーゲーム)での阪神応援企画「ファンみんなでガォー祭り!」の一環として、朝日放送テレビのプロ野球中継へ久々に出演。当時同番組の月曜日で共演していた阪神ファンの
遠藤章造
をゲストに迎えて、副音声で実況を担当した。『キャスト』からの勇退後は、
2015年
5月3日
の
オリックス
対
福岡ソフトバンク
戦ラジオ中継(朝日放送テレビ制作・『
RKBエキサイトホークス
』向けの裏送り中継)を皮切りに、プロ野球中継での実況を本格的に再開。同年6月20日の阪神対
東京ヤクルト
戦(甲子園球場のデーゲーム)の実況で『ABCフレッシュアップベースボール』への復帰を果たした。
阪神球団が創設80周年を迎えた2015年には、『球団創設80周年 阪神タイガース総選挙DVD』(
阪神コンテンツリンク
)の制作に朝日放送・
毎日放送
が協力したことから、両局を代表するスポーツアナウンサーとして毎日放送の
赤木誠
と共にナレーターを務めた。その一方で、
星野仙一
の逝去(
2018年
1月4日
)を受けて朝日放送テレビで
同月8日
に放送した『
虎バン追悼特別番組 ありがとう!星野仙一さん
』では、阪神一軍監督時代(
2002年
・
2003年
)の星野を頻繁に取材した縁で、当時選手や球団職員として星野を支えていた
金本知憲
・
平田勝男
・
矢野燿大
・
片岡篤史
の対談パートを進行した。
その一方で、
1987年
のオフシーズンから
1989年
までは、当時存在していた
近鉄バファローズ
を主に取材。
1988年
から近鉄戦の中継で実況やベンチリポートを随時担当していたほか、「
10・19
」(1988年10月19日に
川崎球場
で催された
ロッテ・オリオンズ
対
近鉄バファローズ
の
ダブルヘッダー
)には、朝日放送(当時)のテレビ・ラジオ中継班にスコアラーとして帯同していた。その縁から、朝日放送ラジオが『
「10.19」~7時間33分の追憶~
』(平成30年度
芸術祭
参加作品として
2018年
11月18日
に本放送)を制作する際に、「10・19」の当事者であった近鉄OBへのインタビュー取材とナビゲーターを担当。この番組は本放送後に、2019年の
日本民間放送連盟賞
・ラジオ報道部門の優秀賞
[
20
]
や、
第56回(2018年度)ギャラクシー賞
・ラジオ部門の選奨を受賞した
[
21
]
。さらに、
ベースボール・マガジン社
が『俺たちのパシフィック・リーグ 近鉄バファローズ1989』(
2021年
10月8日
発売の
ムック
)を刊行する際には、近鉄担当時代の思い出にまつわるエッセイの執筆を同社から依頼。その依頼に応じて書き下ろした「永遠の『一瞬』。」が、巻頭エッセイとして同誌の6 - 7ページに掲載された。
2021年度からは、
NPB
のオフシーズン中に
メットライフドーム
で開催されている「
THE LAST GAME
」(NPB球団の元・選手から最後に所属した球団で引退セレモニーが開かれなかった選手が出場する
スカパーJSAT
主催のスペシャルマッチ)において、
衛星放送
向け中継や
パ・リーグTV
向け動画配信の実況を任されている。朝日放送テレビのスポーツアナウンサーである伊藤に第1回(
2021年
1月8日
開催分)から白羽の矢が立ったのは、出場選手の一部を現役時代に取材していたことに加えて、朝日放送グループの
スカイA
が試合の企画や中継の制作へ携わっていることによる
[
22
]
。
朝日放送テレビ正社員としての定年退職当日(2023年3月31日)も、「シニアアナウンサー」への移行初日(4月1日)も、スポーツアナウンサーとしてスカイAの女子ゴルフ(
ヤマハレディースオープン葛城
)中継で実況を担当している。
妹尾和夫
の
冠番組
が朝日放送→朝日放送ラジオでレギュラー番組として編成されていた時期には、妹尾が主宰している
劇団パロディフライ
の舞台公演用に「架空実況」を収録することがあった。2011年には、
マラソン
中継での実況経験を基に初めて書き下ろした脚本「ラビット」が、劇団パロディフライ舞台公演番外編「時の旅人 兎」で実際に上演されている。『キャスト』のメインキャスターに転身してからも、2012年4月に上演の「時の旅人 辰」に向けて、
尾藤公
(元
和歌山県立箕島高等学校
野球部監督)を題材にした作品「ドラゴンスマイル」の脚本を執筆。同作品では、事前収録による架空実況ながら、久々に実況形式のアナウンスも披露した。
朝日放送テレビシニアアナウンサー移行後の2024年には、1月から3月まで『
神戸新聞
』夕刊のリレーコラム「随想」の執筆陣に名を連ねている。
伊藤が落語に興味を持ち始めたきっかけは、神戸大学の入学式にある。本人が卒業後に述懐したところによれば、「学内の落語研究会の部員が、入学式の会場の前にゴザと座布団を敷いたうえで落語を披露していた。その姿に驚いていたところ、部員から入部を勧誘されたので入部を即決した」とのことで、「入部してからは、
古今亭志ん朝
や
桂枝雀 (2代目)
が自分にとってのアイドルになった」という。また、「噺家(演者)の言葉と仕草だけで、その場が長屋にも色街にも、武家屋敷にまで変わるところが落語の魅力」とも語っている
[
23
]
。
朝日放送(テレビ)の正社員時代からは、1年先輩のアナウンサー・
三代澤康司
(
大阪市立大学
落語研究会の出身で2021年3月31日の定年退職を機にフリーアナウンサーへ転身)、7年後輩のラジオプロデューサー・
戸谷公一
(
関西学院大学
文化総部甲山落語研究会出身)、23年後輩のアナウンサー・桂紗綾(2017年頃より参加)と交代で、関西の演芸専門月刊フリーペーパー『よせぴっ。』の「笑うてABC」という欄にてリレーコラムを執筆。2023年4月1日付でシニアアナウンサーへ移行したことに伴って、上方落語の定席の1つである
神戸新開地・喜楽館
の初代支配人を務めている。
「シニアアナウンサー」と「神戸新開地・喜楽館支配人」の兼務
[
編集
]
喜楽館では、朝日放送で演芸番組の制作に携わってきた
成宮恒雄
(元・同局アナウンサー→ディレクター・プロデューサー)を、2018年7月11日の開館に向けて支配人に選定していた
[
24
]
。支配人には「『番組』(寄席への出演表)作りを通じて出演者を調整したり、観客の要望に応えたりしながら、収支にも目配りする」という役割を想定していた
[
23
]
が、成宮が開館を前に支配人への就任を辞退したため、実際には支配人不在のまま開館
[
25
]
。開館後は、支配人を置かない一方で、「マネジャー」の山本憲吾(神戸大学落語研究会における伊藤の先輩)が寄席などの企画業務などを担っている
[
26
]
。
伊藤自身は神戸大学への進学後から、朝日放送(旧法人)への入社後に
兵庫県
尼崎市内
で生活していた時期をはさんで、神戸市内へ長らく居住
[
4
]
。また、入社後の1997年10月から『日曜落語 〜なみはや亭〜』の「席亭」(進行役)を務めているほか、2021年から喜楽館で「プロ野球応援ウィーク」(プロ野球ファンの落語家が日替わりで登場する朝日放送ラジオ全面協力のイベント)のプロデュースを手掛けている
[
27
]
[
28
]
。その一方で、朝日放送テレビ正社員としての定年(60歳)を2023年3月31日に控えていたことから、山本は2022年6月から伊藤に対して喜楽館支配人への就任を打診
[
26
]
[
3
]
[
4
]
。伊藤が『なみはや亭』の「席亭」として培った話術、経験、人脈、ノウハウを寄席の運営に生かすことを視野に入れた打診で、同局も「地域創生」を大きな目標に掲げていることから、就任に理解を示した。結局、定年の翌日(2023年4月1日)以降も朝日放送テレビに嘱託扱いの「シニアアナウンサー」として勤務することを前提に、「副業」扱いで打診を受諾
[
28
]
。本人が支配人への就任後に述懐したところによれば、当初は就任への打診を固辞していたものの、朝日放送(旧法人)→朝日放送テレビ
野球解説者
の
矢野燿大
が阪神の一軍監督を務めた時期(2019 - 2022年)に選手へ掛けていた言葉(「自分のために頑張ることはもちろんだけど、自分のために頑張ることには限界がある。『誰かのために頑張ろう』と思ったら、その限界を超えてでも頑張れる」)を思い出したことがきっかけで打診の受諾を決めたという
[
26
]
。
神戸新開地・喜楽館では支配人への正式な就任日を2023年7月11日(開館5周年の当日)に定めているが、興行の企画や運営の経験が伊藤になかったこと
[
26
]
を踏まえて、実際には本人曰く「支配人見習い」という扱いで同年4月から「支配人」としての活動を開始
[
23
]
。朝日放送テレビでの職務(『なみはや亭』の「席亭」、プロ野球中継での実況・リポート、深夜~早朝帯の宿直勤務など)と並行しながら、運営団体(「新開地まちづくり
NPO
」)との契約に沿って喜楽館の運営に従事している
[
4
]
[
23
]
。
神戸新開地・喜楽館の支配人としては、就任の際に
6代桂文枝
(名誉館長)や
笑福亭仁智
(就任時点での上方落語協会会長)から「(『支配人』という地位に関する世間一般の)常識にとらわれないで、事情が許せば自分で喋って(館内の公演や記者会見などを取り仕切って)欲しい」という趣旨のアドバイスを受けていたことを背景に、館内の記者会見
[
29
]
や「プロ野球応援ウィーク」などの特別企画で司会を随時担当。広報活動の一環で、朝日放送グループ以外の番組にも「支配人」としてゲストで出演することが相次いでいる(
詳細後述
)。
本人によれば、「1ヶ月につき20日程度をアナウンサー、10日程度を支配人としての活動に充てている」という。もっとも、支配人への正式就任から1年を経過する直前(2024年の7月上旬)には、
新型コロナウイルス感染症
への罹患によって1週間程度の隔離療養を余儀なくされた。この間は、支配人としての職務を休止したほか、アナウンサーとしての出演が告知されていた番組・イベントへの出演を見合わせている
[
30
]
。
なお、
2026年
3月31日
をもって朝日放送テレビを退職しフリーアナウンサーに転身することが同月2日に発表された。フリー転向後も朝日放送テレビとは業務委託契約を結び番組出演や喜楽館の支配人の業務は継続する
[
31
]
。